THERMAL CRISIS

わたしの棺桶に誰を入れるかを考える日々

なぜ未だにデプロメールを飲むのか

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今回は薬というより近況報告。

フルボキサミン(英:Fluvoxamine)は、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)に分類される抗うつ薬のひとつで、ベルギーの化学会社ソルベイ(医薬品部門は現アッヴィ)によって創製された。

1999年5月に、日本で最初に発売されたSSRIである。日本ではルボックス、デプロメールの商品名で知られ、うつ病・うつ状態、強迫性障害、社交不安障害に適応がある。処方箋医薬品である。

参照:Wikipedia

 

まだ飲むその理由

最近お仕事を転職しました。

 

そこでは大半が僕と楽しさを共有できるような、全体的には「情緒ある人たちばかり」で、毎日忙しくてもやっていけそうな雰囲気なのです。

 

しかし、過去にデザイン事務所やカメラマンの元で修行したとはいえ、実務経験があまりにも少ない自分にとって、(当たり前ですが)求められるデザインの質は異なっていたのです。そんな中、自分としてはクオリティの低いながらも、(紙媒体)デザインをミーティングを踏まえて進捗確認をしながら作業を進め、煮詰めていたところ案の定、

 

総リテイク

 

されました。

気まぐれなクライアントにありがちなのかもしれませんが、今回は『2週間かけて作ってきたもの』を前提確認と内容確認・デザインの方向性も固まっている上でのリテイクだったので、意気消沈してしまいました。(ライターさんの作ってくれた内容も総ボツ)当然のことですが、デザインに限らず「創る」ことは、比較や効果的なものを優先される過程で紆余曲折あるものです。

 

「過程そのもの」を「結果」よりも大事にしましょうね、 

と全体朝礼でのとある人物の言葉が逡巡しましたが、やはり「どこの世界でも結果ありき」なのだと身に染みたのでした。

上の理由から、一喜一憂を過敏に反応させないため、また極度の落ち込みを悪化させないためにもまだ飲み続けています。

 

デプロメールとマイスリー

ここ最近は規則正しい(?)生活の効果もあってか、眠りやすくなりました。

フリーターのころは両極端に過眠か不眠のサイクルでした。

 

ただ、上述したデザインの件しかり、このほか小さな「綻び」が、積み重なることによっていわゆる「意欲」の炎の出が悪くなってきたのです。相変わらず精神科には通っているのですが、ベンゾジアゼピン、とりわけ同じような薬を飲んでいるのはよくないと先生は仰いました。なので来月あたりにはマイスリーは卒業できそうです。

 

デプロメールもSSRIなので本来は「飲み続けることで効果が出る薬」なのですが、さすが医者。「ずっと飲むものではない。いつかは飲まなくてよくなるようにしましょう」と言ってくれました。

 

つまり薬で安定させる必要も無いくらいに安定させるということ。

 

先生が言うには、ヤブ医者は同じような作用を持つ薬を何種類も出したり、多めに出したりするようですが、そんなこともせず適切な処方をしてくれてしっかりゴールを作ってくれるところは頼もしいなと思わされました。

 

本音

今の職場では、社内環境改善・離職率低下のために社内SNSツールを使っていて、その中でも「○○くんはいつでも笑顔だね〜」と言われているくらいに楽しいはずでした。

 

一方でどす黒く、無価値だと自分を罵る自分もいる。

 

偽善的な行動なんじゃないか、恩着せがましいのではないか、お節介じゃないのか、褒められてるのも新人だからじゃないのか、自分は本当はどうでもいいんじゃないのか、

 

などうじうじと瞬間的に悪い考えが通り過ぎるのです。

 

そんな感情や勢いに負けるかと仕事に打ち込むうちに、仕事を求められている質には及ばなかったところが致命的な悔しさを生んだために、もしかしたら一生薬がないとコントロールできないんじゃないかと目頭が熱くなるばかりなのです。

 

励ましてくれる人もいるし、悔しさをバネにしろと言われている言葉には意味はわかってもなかなかその通りにはいかない自分が1番嫌いで、もしかしたらまたクラッシュするのかと、まさに平常と狂気の狭間にいる気分でした。

 

泣けない

仕事場だし、仕事中だから、目頭が熱くなろうが感情的になろうが結果がすべてなので絶対に泣けませんでした。休憩中も久しぶりにうわの空で無感情になりました。

求められているのは伸びしろを埋めることで、今すぐプロ並みのハイクオリティのものを作ることではないとわかっていても、この悔しさはなかなか消えそうにありません。

 

それに泣いたところで何も変わりはしないし、冷静さを欠いて業務電話をするなど自分を許せませんでした。ほとんどが終電の時間までデザインの作業をしてきましたが、それでも結果的に効果的でないものとクライアントにジャッジされてしまえば過程などどうでもいいのです。

 

あとはその経験をもとにいいものを作れるかどうかにかかっています。

 

気まぐれに合わせる技量が必要なのか、割り切るべきなのか、瞬間の選択は非常に難しいものだとなぜだか少し前の震度6の地震を思い出させられました。

 

クライアントが地震を起こすことがわかっているのなら、耐震するしかない。

そして地震がきたときにうまく逃げのびる経験を活用しなければならないと

 

そう思わされるのです。

普段は大地に感謝するニンゲンが、地震が起きたら大地を憎むようなものに近いかもしれません。

 

自分でも少し安定してきたなぁと油断すると、油断大敵、悔しさを鍵にずるずると闇に引き込まれる恐怖を感じました。

 

3人の自分

やはり自分には性格とは少し異なる、3パターンの自分がいるんじゃないかと思わされました。

 

  • 平和的な自分
  • 好戦的な自分
  • 内向的な自分

平常時は平和を好むのです。

ですが焦りから好戦的に変化するのは、もしかしたら精神の防御反応として変化するのかもしれません。そして内向的に、消極的に、するとだんだんと破滅的になっていく。

 

焦らないようにするために、厳密な自分ルールを敷くべきなのか、曖昧なままでスルーすべきなのか、場面場面で異なるゆえに、頭を抱えてしまいます。

 

「なんて厄介な自分なんだろう」と笑ってしまうレベルです。

 

ずっとのほほんとしていればいいものを、時に何の恨みなのかわからないほどに衝動的に怒ったりしてしまうと歯止めがきかない。これはいけないと思っているからこそセーブできているものの、セーブできなかったらと思うとゾッとします。

 

 

あとはいい意味で好戦的なのかもしれません。全力投球で、差が開いていることをわかっていても挑み、足りず悔しがる。結果をわかっていてもぶつかっているのかと思うとそこまでかっこいいものでもないとよくわからなくなります。

 

それでも

転職、できて良かったなと改めて思います。

客観的に見たらアクティブで笑顔が増えたのだろうという言葉からみても、転職は正解でした。前の場所が悪いとかそういう意味ではなく、収めるべきところにやっと収まりつつあるのかもしれません。